オクセル=バ
Auxelles-Bas | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏 |
県 (département) | テリトワール=ド=ベルフォール県 |
郡 (arrondissement) | ベルフォール郡 |
小郡 (canton) | ジロマニー小郡 |
INSEEコード | 90005 |
郵便番号 | 90200 |
市長(任期) | ドミニク・シポー (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes des Vosges du Sud |
人口動態 | |
人口 | 474人 (2015年) |
人口密度 | 50人/km2 |
住民の呼称 | Trissous |
地理 | |
座標 | 北緯47度44分06秒 東経6度46分52秒 / 北緯47.735度 東経6.78111111111度 / 47.735; 6.78111111111座標: 北緯47度44分06秒 東経6度46分52秒 / 北緯47.735度 東経6.78111111111度 / 47.735; 6.78111111111 |
標高 | 平均:m 最低:430m 最高:621m |
面積 | 9.41km2 |
Auxelles-Bas | |
公式サイト | auxelles-bas.com |
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オクセル=バ (Auxelles-Bas、フランク=コントワ語:Ossarre-Bé)は、フランス、ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏、テリトワール・ド・ベルフォール県のコミューン。
地理
村はヴォージュ山脈の南側のふもとにあり、オート=ソーヌ県との県境に位置している。
由来
村の名前(Axella, Ascella, Accella, Assel)が言及されるのは1130年以降である。
- Aucelle (1282年), Assel (1628年), Auselle/Auxelle (1655年)。
- ドイツ語 : Nieder-Assel[1]
歴史
この地にはローマ時代から人が定住していた可能性が高い。なぜならば、ヴォージュ山脈の南側から並行して走っていたラングル-ストラスブール間の道と、サヴルーズ川谷に沿ってマンドゥールから伸びる道との交差地点にあたったからである。
オクセルの封土はティエリー・ド・モンベリアールに帰属していたが、12世紀に封土はニコラ・ドクセルに寄進された。1520年にはフェレット伯爵が所持するところとなり、フランス革命までそれが続いた。1569年、オクセルの村はオクセル=バとオクセル=オーの2つに分かれていた。13世紀に建設された城は10年戦争(fr)中の1635年に焼失し、18世紀に住民たちが城の石を個人的用途に利用するため解体した。
ヴォージュ山脈南部には、14世紀末に採掘された鉱脈がある。とりわけ、銀を含有する鉱物ガレーヌは掘り出された後現地で加工され、森林は坑道の資材や、鉱物の加工に必要なエネルギー資材として木材を供給していた。コミューン内では数か所の坑道と抗が掘削された。この経済活動は、17世紀までヴォージュ山麓の経済発展の重要な要素となっていた。フランス革命まで衰退の時代が続いた後、1824年前後に導入された織機の設置によって19世紀に再び経済活動が発展した。1882年には綿織物の織機が130台あり、小麦を挽く製粉所が3か所、皮革用の製粉所(皮なめしに用いるオーク樹皮を粉砕するため)があった。
13世紀、村はショーの町の教区の一部だった。教区はラシャペル・スー・ショーの教区に付随するものとみなされていた。オクセルの城に付属していた礼拝堂は、18世紀半ばに解体された。現在の教会は、1870年代初めに建設され、聖カトリーヌに捧げられている。
人口統計
1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2015年 |
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321 | 283 | 325 | 361 | 353 | 461 | 469 | 474 |
参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[2]、2006年以降INSEE[3][4]。