ヴィシゴロド公国
ヴィシゴロド公国(ロシア語: Вышгородское княжество)は11世紀から13世紀にかけて存在した、キエフ・ルーシ期の公国である。首都はヴィシゴロドに置かれた。
歴史
ヴィシゴロドの年代記上の初出は946年であるが、その際にはキエフ大公の寡婦・オリガの所領として言及されている。ヴィシゴロド公国は完全な独立公国ではなく、慣習的にキエフ大公の後嗣が所持する所領となっていた。また、キエフ大公国で公位をめぐる内乱が発生した際には、キエフ大公が退避する街でもあった[1]。故に年代記上において、その統治者であるヴィシゴロド公に関する記述は、断片的なものが残されているのみである[1]。
モンゴルのルーシ侵攻末期の1240年にヴィシゴロドは破壊され、それ以降には、都市・公国ともに年代記上に言及はみられない。ヴィシゴロドが寒村ながらも再興するのは15世紀頃のことである[2][注釈 1]。
脚注
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注釈
- ^ 現在のヴィシゴロドにはキーウ貯水池(ダム)があり、キーウ大都市圏における新興居住区域となっている[3]。