延安明氏

延安明氏
氏族
朝鮮
領地 延安郡
家祖 明玉珍
著名な人物 明昇明華燮ミョン・セビン
명씨대종회

延安明氏(ヨナンミョンし、朝鮮語: 연안명씨)は、朝鮮氏族の一つ。本貫黄海道延安郡である。2015年の調査では、23,313人である[1]西蜀明氏とは同源である[2]

始祖は、1362年中国四川省に夏を建国した明玉珍である。明玉珍の息子の明昇は、1366年に父の後を継いで王位を継承したが、1371年朱元璋に屈し、翌年に母の彭氏と共に家族27人を率いて高麗に帰化した。

明昇の末裔は西蜀明氏と呼ばれ、始祖を明玉珍、本貫を西蜀(四川省)としているが、その支族が本貫を延安郡として延安明氏を創始した。西蜀明氏と延安明氏は合同の宗親会を持ち、1986年に『明氏大同譜』を刊行している。

集姓村

脚注

  1. ^ “KOSIS”. kosis.kr. 2022年11月19日閲覧。
  2. ^ a b “명씨(明氏) 본관(本貫) 서촉(西蜀), 연안(延安)입니다.”. www.findroot.co.kr. 2022年7月27日閲覧。

参考文献

  • “명씨(明氏) 본관(本貫) 서촉(西蜀), 연안(延安)”. 한국족보출판사. オリジナルの2022年9月21日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/B0NBx 
  • 金光林 (2014年). “A Comparison of the Korean and Japanese Approaches to Foreign Family Names” (英語) (PDF). Journal of cultural interaction in East Asia (東アジア文化交渉学会): p. 20. オリジナルの2016年3月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160327222247/http://www.sciea.org/wp-content/uploads/2014/05/03_JIN.pdf 

関連項目