遠江国地震(とおとうみのくにじしん)は、和銅8年5月25日(ユリウス暦715年6月30日・グレゴリオ暦7月4日)に、遠江国(静岡県)で発生した大地震。翌日の5月26日(715年7月1日・7月5日)には、三河国(愛知県)で大地震の記録があり、正倉47棟が倒壊。
天竜川(麁玉河)が塞き止められ、数十日後に決壊して洪水が発生(『続日本紀』)[1]。山崩れで麁玉河が塞き止められ、敷智・長下・石田3郡の民家が水没し、田も損害を受けた(浜松市史)[2]。
この地震に関する根本史料は『続日本紀』に限られ、また後に編纂された『扶桑略記』にもほぼ同様の内容の記録がある。ただし、『続日本紀』の地震の日付は和銅8年(霊亀元年)5月25日であるが、『扶桑略記』はその1年前の「和銅七年五月」となっている[3][4][5]。
和銅八年(霊亀元年) 五月辛巳朔 乙巳。
遠江地震ス。山崩レ壅二麁玉河一。水為之不レ流レ。経テ二数十日ヲ一潰ヘ。没シ二敷智・長下・石田。三郡ノ民家百七十余区ヲ一。并損レ苗。
また、埋没樹木の年輪による年代測定からは、714年に樹木が埋もれたという結果が得られている[6]。
脚注
- ^ 【温故地震】都司嘉宣 和銅遠江地震(715年) 巨大な土砂ダムで洪水被害 産経新聞ニュース 2016.11.21
- ^ “浜松地震年表 | 浜松情報BOOK”. www.hamamatsu-books.jp. 2021年2月19日閲覧。
- ^ 地震史料集テキストデータベース
- ^ 続日本紀
- ^ 扶桑略記
- ^ 村松武・ほか(2014)「西暦714年遠江地震に伴う長野県南部遠山地域の地変とその後の地形変化」『日本地質学会学術大会講演要旨』 2009, 2009 巻, 第116年学術大会(2009岡山),https://doi.org/10.14863/geosocabst.2009.0.330.0,
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- 1749年 |
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古墳時代 | |
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飛鳥時代 | - 推古(599年、M?)
- 筑紫(679年、M7?)
- 白鳳(684年、M8 - 9)
- 大宝(701年、M?)
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奈良時代 | |
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平安時代 | - 弘仁(818年、M?)
- 天長(830年、M7 - 7.5)
- 伊豆(841年、M7)
- 出羽(850年、M7.5?)
- 播磨(868年、M7?)
- 貞観(869年、M8.3<)
- 元慶(878年、M7.5<)
- 仁和(887年、M8<)
- 山城・近江(976年、M?)
- 万寿(1026年、M?)
- 永長(1096年、M8<)
- 康和(1099年、M?)
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鎌倉時代 | |
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室町時代 | - 正平(1361年、M8<)
- 応永(1408年、M?)
- 相模(1433年、M?)
- 享徳(1454年、M大?)
- 明応日向(1498年、M?)
- 明応関東?(1495年、M?)
- 明応(1498年、M8.2<)
- 越後南西部(1502年、M7)
- 永正(1520年、M?)
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安土桃山時代 | |
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江戸時代前期 | - 慶長(1605年、M7.9?)
- 会津(1611年、M6.9)
- 慶長三陸(1611年、M8.1<)
- 高田領?(1614年、M7.7?)
- 寛永小田原(1633年、M7?)
- 房総沖(1655年、M?)
- 寛文(1662年、M7.6)
- 日向灘(1662年、M7.6)
- 寛文高田(1666年、M6.8)
- 西蒲原(1670年、M6?)
- 延宝八戸沖(1677年、M7.9)
- 延宝房総沖(1677年、M8 - 8.5)
- 日光(1683年、M7)
- 遠江・三河(1686年、M7.0)
- 能代(1694年、M7.0)
- 元禄(1703年、M8.2 - 8.5)
- 津軽(1704年、M7.0)
- 宝永(1707年、M8.6 - 9.3)
- 富士宮(1707年、M7.0)
- 因伯美(1710年、M6.5)
- 小谷(1714年、M6.3)
- 遠山(1718年、M7.0)
- 寛保(1741年、M6.9)
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1750年 - 1799年 |
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1750年 - 1759年 | |
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1760年 - 1769年 | - 佐渡沖(1762年、M7.0)
- 宝暦八戸沖(1763年、M7.9)
- 津軽(1766年、M6.9)
- 日向・豊後・肥後(1769年、M7.8)
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1770年 - 1779年 | - 八重山(1771年、M7.4 - 8.7)
- 陸前・陸中(1772年、M7.1)
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1780年 - 1789年 | - 庄内(1780年、M7.0)
- 天明小田原(1782年、M7.0)
- 阿波(1789年、M7.1)
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1790年 - 1799年 | - 島原半島(1792年、M6.4)
- 後志(1792年、M7.1)
- 西津軽(1793年、M7.0)
- 寛政(1793年、M8.2)
- 金沢(1799年、M6.0)
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1800年 - 1849年 |
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1800年 - 1809年 | - 佐渡小木(1802年、M6.6)
- 象潟(1804年、M7.0)
- 紀伊半島沖(1808年、M7.6)
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1810年 - 1819年 | - 羽後(1810年、M6.5)
- 神奈川(1812年、M7.0)
- 文政近江(1819年、M7.3)
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1820年 - 1829年 | - 陸中岩手山(1823年、M6.0)
- 三条(1828年、M6.9)
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1830年 - 1839年 | - 京都(1830年、M6.5)
- 美濃西部(1833年、M6.3)
- 庄内沖(1833年、M7.5)
- 石狩(1834年、M6.4)
- 宮城県沖(1835年、M7.0)
- 釧路・厚岸(1839年、M7.0)
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1840年 - 1849年 | |
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1850年 - 1884年 |
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1850年 - 1859年 | |
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1860年 - 1869年 | |
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1870年 - 1879年 | |
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