2002年の日本ハムファイターズ(2002ねんのにっぽんハムファイターズ)では、2002年シーズンについての日本ハムファイターズの動向をまとめる。
この年の日本ハムファイターズは、大島康徳監督の3年目のシーズンである。
概要
大島監督3年目を迎えたチームは、近鉄へ移籍したナイジェル・ウィルソンに代わり、DTクローマーが加入。木元邦之や實松一成などの若手に加え、オープン戦好調だった奈良原浩、藤島誠剛が開幕スタメンで起用された。3月31日のダイエー戦では大島が一塁塁審良川昌美に暴力行為を行ったとして退場処分となり、2試合出場停止(4月3日、4日のオリックス戦)となり、4月3日、4日はヘッド兼内野守備走塁コーチの高代延博が監督代行を務めた。5月には首位の西武と4ゲーム差の4位、前半戦終了時には貯金1と2年ぶりのAクラスも見えていたが、8月に7勝18敗するなど失速し、終盤に調子を上げてきたロッテにも抜かれ、結局5位に終わる。打線では初の首位打者を獲得した小笠原道大、ショートにコンバートされた金子誠、投手陣では初の二桁勝利を挙げた金村曉、先発転向で9勝を挙げたカルロス・ミラバル、高卒3年目の正田樹が新人王を獲得したのが目立ったが、全体的に低調だった。チーム外ではこの年の狂牛病対策による農林水産省の制度を悪用した牛肉偽装事件の影響が大きく、オーナーの大社義規はオーナー職こそ留任したものの、会長は辞任し、経営の第一線から退く事になった。シーズン途中には札幌ドームへ2004年に本拠地を移転することが発表された。オフに2年連続Bクラスの責任を取って大島監督は解任され[2]、後任として、球団初の外国人監督であるトレイ・ヒルマンが就任した。
チーム成績
レギュラーシーズン
2002年パシフィック・リーグ順位変動 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 |
1位 | ダイエー | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- |
2位 | 西武 | 2.0 | ダイエー | 3.0 | 近鉄 | 3.0 | 近鉄 | 7.0 | 近鉄 | 13.0 | 近鉄 | 16.5 |
3位 | 日本ハム | 4.0 | 近鉄 | ダイエー | 8.0 | ダイエー | 9.5 | ダイエー | 15.5 | ダイエー |
4位 | 近鉄 | 5.5 | 日本ハム | 4.0 | 日本ハム | 9.5 | 日本ハム | 11.0 | 日本ハム | 24.5 | ロッテ | 23.0 |
5位 | オリックス | 6.0 | オリックス | 10.5 | ロッテ | 16.5 | ロッテ | 17.0 | ロッテ | 26.5 | 日本ハム | 28.0 |
6位 | ロッテ | 9.5 | ロッテ | 12.5 | オリックス | 17.0 | オリックス | 18.5 | オリックス | 31.5 | オリックス | 39.0 |
オールスターゲーム2002
詳細は「2002年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
選手・スタッフ
日本ハムファイターズ 2002 |
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監督 | |
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コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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表彰選手
リーグ・リーダー |
選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
正田樹 | 新人王 | |
小笠原道大 | 首位打者 | .340 | 初受賞 |
ベストナイン |
選出なし |
ゴールデングラブ賞 |
選手名 | ポジション | 回数 |
小笠原道大 | 一塁手 | 4年連続4度目 |
井出竜也 | 外野手 | 5年ぶり2度目 |
ドラフト
詳細は「2002年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
[脚注の使い方]
各年の北海道日本ハムファイターズ |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。 |
| この項目は、野球に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球/P野球)。 |